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東京地方裁判所 昭和27年(レ)135号 判決

控訴人 後藤一二

被控訴人 能勢利秋

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一、控訴人の求める裁判――「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」旨の判決。

第二、被控訴人の求める裁判――主文第一項と同趣旨の判決。

第三、被控訴人の事実上の主張。

(一)  請求の原因。

(イ)  被控訴人は昭和十七年十月七日控訴人及び訴外渡辺力の斡旋で訴外橋本三郎から東京都目黒区大岡山三十六番地宅地三十四坪(以下「本件宅地」という。)の上にあつた同人所有の木造瓦葺平家建居宅一棟建坪十八坪七合五勺(以下「罹災建物」という。)を買い受け、同年十一月五日これが所有権取得の登記を受け、次いで同月九日本件宅地を、当時その所有者であつた訴外岡田金太郎(同人は昭和二十二年五月八日死亡し訴外岡田鍵一が相続によつて、その権利義務を承継した。)から建物所有の目的で賃料一ケ月六円五十銭で毎月末日払として期間を定めずに賃借した。

(ロ)  さて、罹災建物はその後昭和二十年五月二十五日空襲のため焼失したが、被控訴人が、本件宅地に対してもつていた借地権はこれによつて消滅するものではなく、かえつて罹災都市借地借家臨時処理法(以下「臨時処理法」という。)第十条による第三者に対する対抗力を取得するに至つたものである。しかるに控訴人は昭和二十三年五月二十八日から本件宅地の占有を始め、次いで同年六月末頃から本件宅地上に木造トントン葺平家建一棟建坪十二坪七合五勺(以下「本件建物」という。)を建築所有して被控訴人の借地権を侵害しているから、これが侵害を排除するため本件宅地をその上にある本件建物を収去して明け渡すべきことを求める。

(二)  控訴人の抗議に対する主張。

(イ)  控訴人主張の(二)(イ)の事実は否認する。被控訴人は本件宅地に対する借地権を放棄する意思表示をしたことは全然ない。寧ろ被控訴人は控訴人及び渡辺力を介し、岡田金太郎に昭和二十年五月末まで本件宅地の賃料を支払い、又昭和二十三年五月二十七日附翌二十八日到達の書面で岡田鍵一に対し被控訴人が本件宅地に借地権を有する旨を通告した。

(ロ)  控訴人主張の(二)(ロ)の事実は認める。しかし控訴人が本件宅地につき昭和二十六年七月一日以後にその所有権を取得し、これに基いて控訴人が被控訴人の本件借地権の対抗力の欠缺を主張することは信義誠実の原則に反する権利濫用の行為である。被控訴人が本件宅地について賃借権をもつに至つたのが、土地建物の売買ならびに賃貸借の斡旋仲介を業としていた控訴人の斡旋で罹災建物を買い受けたがためであることは前記のとおりであるが、当時被控訴人がその敷地たる本件宅地につき果してその所有者岡田金太郎から借地権を認めて貰えるか否かに危惧の念を抱いていたのに対し、控訴人は被控訴人が岡田金太郎からその借地権を認めて貰えることは間違ないと答え、その後も被控訴人と岡田金太郎との間に立つて地代の授受を仲介し、更に昭和二十一年二月頃被控訴人が控訴人に岡田金太郎への地代支払のため金員を託そうとしたときにも控訴人は被控訴人に対し、本件宅地の件は委せておいてくれれば地代を今払わなくても被控訴人が本件宅地に建物を建てるときには何時でもこれを使えるように手配しておく旨を答えた事実がある。故に控訴人が前記(イ)の岡田鍵一に対する通告の直後である昭和二十三年五月二十八日から本件宅地の占有を始め、次いでその上に本件建物を築造し、更に本件宅地を国から買い受けたのは被控訴人のこれに対する借地権の行使を故意に妨害しようとする意図に出たものというべきであるが、被控訴人が控訴人の本件宅地買受のときまでに本件宅地につき臨時処理法第十条所定の罹災地借地権の対抗力に代るべき本件借地権の対抗力の具備、すなわち本件宅地における建物の築造並びにこれが保存登記のできなかつたのは実は被控訴人の以上の行為によるものに他ならないのである。しかも控訴人が本件宅地を買い受けたのは、原審において被控訴人が本件宅地につき控訴人に対抗しうる借地権をもつていることを明示した判決が言い渡され、その判決が控訴人に送達された昭和二十七年六月十二日以後のことであるが、以上のような事情の下で控訴人が被控訴人の借地権の対抗力の欠缺を主張することは正義に反するから、結局控訴人は被控訴人の借地権を承認して被控訴人に本件宅地を使用収益させなければならないものである。

第四、控訴人の事実上の主張。

(一)  答弁。

(イ)  被控訴人主張の(一)(イ)の事実のうち、橋本三郎が本件宅地上に罹災建物を所有していたこと、被控訴人が昭和十七年十一月五日橋本三郎から罹災建物の所有権移転の登記を受けたこと及び本件宅地の所有権が従前岡田金太郎にあり、同人が昭和二十二年五月八日死亡し岡田鍵一が相続によつてその権利義務を承継したことはこれを認めるがその他の事実は否認する。罹災建物を橋本三郎から買い受けたのは被控訴人ではなくて渡辺力であり、渡辺はその買受後本件宅地を岡田金太郎から賃借していたが、昭和十七年十月罹災建物を被控訴人に売り渡しそれとともに本件宅地を被控訴人に転貸した。しかしこの転貸借については賃貸人たる岡田金太郎の承諾は受けてなかつたものである。

(ロ)  同(ロ)の事実のうち、罹災建物が昭和二十年五月二十五日空襲のため焼失したこと及び控訴人が昭和二十三年五月二十八日から本件宅地の占有を始め、(控訴人はこれよりも先昭和二十一年春頃地主の岡田金太郎と本件宅地の賃貸借契約をしていた)次いで同年六月末頃から本件地上に本件建物を建築所有していることは認めるが、その他の事実は否認する。罹災建物の焼失した当時は、被控訴人は本件宅地につき賃貸人岡田金太郎の承諾のない、賃借人渡辺を転貸人とする、転借権をもつていたに過ぎないのであつて、その転借権は本来賃貸人に対抗しうるものではなかつたから臨時処理法第十条の適用を受けないものである。

(二)  仮に被控訴人が本件宅地につき臨時処理法第十条所定の対抗力のあつた借地権をもつていたとしても被控訴人の請求は次の理由により失当である。

(イ)  被控訴人は昭和二十一年春頃控訴人に対し、別に京都に家を建築したし、又本件宅地に建物をたてる資金を持つていないから、本件宅地の借地権はこれを抛棄すると申し入れ、以て控訴人を通じて右借地権の放棄の意思表示をした。

(ロ)  仮に右借地権放棄の事実が認められないとすれば、被控訴人の右借地権は控訴人に対抗し得ないものであることを主張する。すなわち岡田鍵一は財産税法所定の物納手続をとつて本件宅地の所有権を国に譲り渡し、控訴人は昭和二十七年十月六日国から本件宅地を買い受け昭和二十八年四月二日その所有権取得登記を受けた。

従つて被控訴人の右借地権は臨時処理法第十条によつて控訴人に対抗することはできない。

(ハ)  被控訴人主張の(二)(ロ)の事実については、控訴人が従前から土地建物の売買並びに賃貸借の斡旋仲介を業としていたこと被控訴人が岡田鍵一に対し昭和二十三年五月二十八日到達の書面で被控訴人主張のような趣旨の通告をしたこと、控訴人が右通告のあつた日から本件宅地の占有を始め、次いでその上に本件建物を築造しこれを所有していること、被控訴人が控訴人の本件宅地買受のときまでに本件借地権の対抗力を具備していなかつたこと及び控訴人が昭和二十七年六月十二日原裁判所から被控訴人主張のような趣旨の判決の送達を受けたことはこれを認めるがその他の事実は否認する。控訴人が被控訴人の本件宅地の借地権の対抗力の欠缺を主張することは信義誠実の原則に反しないし、又権利の濫用でもなければ正義に反することがらでもないから被控訴人の請求は失当である。

第五、証拠。〈省略〉

理由

(一)  成立に争のない甲第一号証、第四号証の各記載と、証人鈴木忠一、能勢照子の各証言及び被控訴人本人尋問の結果とを綜合すると、被控訴人は控訴人及び渡辺力の斡旋により昭和十七年十一月五日罹災建物をその所有者橋本三郎から代金三千五百円で買い受けたことが認められ、この認定を動かすに足る証拠はなく、更にその後被控訴人がその所有権取得の登記を受けたことは当事者間に争がない。又、証人鈴木忠一、能勢照子、岡田鍵一の各証言と被控訴人本人尋問の結果とを綜合すると、被控訴人は罹災建物の買受後間もなく渡辺とともに本件宅地の所有者岡田金太郎方を訪れ同人の妻すゑ子と会い今度被控訴人が罹災建物を買い受けたから被控訴人に本件宅地を貸して貰いたい旨を申し入れ、同人はこれを承諾したこと及び被控訴人はその後渡辺ないし控訴人を通じて岡田金太郎に本件宅地の地代として一ケ月六円五十銭の金員を支払つていたことが認められ、この認定を左右すべき証拠もない。故に被控訴人と岡田金太郎との間には、被控訴人が罹災建物を買い受けてから間もなく、本件宅地について賃料一ケ月六円五十銭とする建物所有のための賃貸借ができ、被控訴人はこれによつて本件宅地の借地権を取得したものとする他はない(証人岡田鍵一は岡田金太郎の本件宅地の台帳(借地人名簿)には被控訴人の氏名が記載されていない旨を述べているが、そのことは本文の認定を妨げるものではない。蓋し賃貸人は賃借人の交替毎に常に必ずその賃借人名簿にこれに即応する記載をするとは限らないからである。)。

(二)  さて、罹災建物が昭和二十年五月二十五日空襲のため焼失したことは当事者間に争がないが、罹災建物の敷地たる本件宅地(本件宅地が罹災建物の敷地であつたことは当事者間に争がない。)の借地権はかような事由で当然に消滅するものではなく、かえつて臨時処理法第十条の保護を受けるものであるから、以下被控訴人の本件宅地借地権の推移について考えて見る。

(イ)  控訴人は、被控訴人は昭和二十一年春頃本件宅地の借地権を放棄したと主張するけれども、これを認めるに足る証拠はない。いなかえつて証人鈴木忠一、能勢照子、白井龍夫の各証言及び被控訴人並びに控訴人各本人尋問の結果(但し、白井の証言及び控訴人本人尋問の結果は何れも後記の信用しない部分を除く)と右鈴木忠一、能勢照子の各証言により成立を認めうる甲第五号証、第六号証、証人岡田鍵一の証言及び被控訴人本人尋問の結果により成立を認めうる甲第二号証の一、成立に争のない甲第二号証の二、第三号証の各記載とを綜合すると、被控訴人は罹災建物の焼失後も控訴人ないし渡辺力を通じて或は更に供託によつて岡田金太郎(昭和二十二年五月八日以後は岡田鍵一)に少くとも昭和二十三年五月までの本件宅地の地代を支払い、かつ本件宅地上に再び建物を築造しようと考えて、岡田金太郎(その死亡後は岡田鍵一)とその借地人との間で仲介の労をとつていた控訴人と折衝を重ね、又直接岡田鍵一に対し昭和二十三年五月二十七日附同二十八日到達の書面で、被控訴人が本件宅地に借地権をもつていることを通告したことが認められ(この通告に関する点は当事者間に争がない。)、証人白井龍夫の証言並びに控訴人本人尋問の結果のうち以上の認定に反する部分は信用し難く、他にこの認定を動かしうる証拠はない。よつて被控訴人が本件宅地の借地権を放棄した旨の控訴人の主張は採用することができない。

(ロ)  次に控訴人は、被控訴人の本件宅地の借地権は臨時処理法第十条により控訴人に対抗し得ないものであると主張し、岡田鍵一が財産税法所定の物納手続をとつて本件宅地の所有権を国に譲り渡し、控訴人が昭和二十年七月一日から五年以上を経過した昭和二十七年十月六日国から本件宅地を買い受け昭和二十八年四月二日その所有権取得登記を受けたこと及び控訴人が右登記を受けたときに被控訴人が本件宅地の上に登記した建物を所有していなかつたことは当事者間に争がないから、一応被控訴人の本件宅地の借地権は控訴人に対抗できないかのように思われる。よつて問題は、控訴人が被控訴人の右借地権の対抗力の欠缺を主張することが信義誠実の原則に反するものであるか否かによつて決せらるべきである。

思うに被控訴人が本件宅地について賃借権をもつに至つたのが、被控訴人が土地建物の売買並びに賃貸借の斡旋仲介を業とする控訴人(控訴人がかような営業をしていることは当事者間に争がない。)の斡旋で罹災建物を買い受けたがためであること及び控訴人が罹災建物の焼失後も被控訴人の本件宅地の地代の支払について仲介の労をとつていたことは先に認定したとおりであり、又証人鈴木忠一、の証言及び被控訴人本人尋問の結果と甲第五号証の記載とを綜合すると、控訴人は少くとも昭和二十一年九月までは本件宅地の件について被控訴人が岡田金太郎にその地代を支払わなくてもこれを使用することを希望するときには何時でもこれを使えるように尽力するという態度を示していたことが認められ、この認定を動かしうる証拠はない。しかして控訴人がこの前言を飜し被控訴人から岡田鍵一に対し本件宅地につき被控訴人が借地権を有する旨の通告をした日の昭和二十三年五月二十八日直ちに本件宅地の占有を始め、次いで同年六月末頃その上に本件建物を築造してこれを所有して来ていることは当事者間に争がないが、以上認定の事実と、当裁判所に顕著な「控訴人の本件宅地の買受が被控訴人が本件宅地につき控訴人に対抗しうる借地権を有する旨の原審判決の言渡が行われその判決が控訴人に送達された後である事実」とを綜合して考えると、被控訴人が本件宅地上に建物を建てその所有権保存登記を受け以て「建物保護ニ関スル法律」第一条による借地権確保の途を講ずることができなかつたのに反し控訴人が法の外形上従前の借地権の対抗を受けないような態様で本件宅地の所有権を取得することができたのは、控訴人が被控訴人を甘言を以て油断させその油断に乗じて自ら本件宅地上に本件建物を建て、被控訴人がその地上に建物を建てることも事実上不能としたことによるものと認める他はない。

被控訴人が本件宅地の借地権につきその対抗力を取得する方法としては他に賃貸人岡田金太郎ないし岡田鍵一から賃借権の登記を受けるという方法があつたのであるが、それは右岡田らがこれに協力しない以上はいうべくして行われ得ないものであり、そして右両名が何れも被控訴人に対しかかる協力的態度を示していなかつたことは証人岡田鍵一の証言及び甲第二号証の一、二、第三号証の記載によつて明かである。

さすれば被控訴人は本件宅地の借地権の対抗力取得の唯一の手段たる本件宅地上に建物を築造し、これについて保存登記をすることを控訴人の背信行為によつて不能に帰せしめられたものといわなければならないが、法は控訴人のような土地所有権の取得者についてもなおその土地についての従前の借地権を否定する権能を認めるものであろうか。不動産登記法第四条は詐欺強迫によつて登記の申請を妨げた第三者は登記の欠缺を主張し得ないことを明言している。本件はもとより被控訴人が本件宅地上に建物を所有し、その保存登記を申請すること自体を控訴人が妨げたというのではないが、登記の申請自体を妨げることと、まだ登記をすべき何物もないが登記を受け得る地位を創設する権利若しくは自由を有しかつその地位創設の意思を有する者に対し右の権利若しくは自由を妨げる行為をすることとの間に、どれ程の差異があるであろうか。不動産に関する権利の対抗力の取得に対する妨害という面から見れば両者は全く同じものである。しかも、民法第一条第二項は「権利ノ行使及ビ義務ノ履行ハ信義ニ従ヒ誠実ニ之ヲ為スコトヲ要ス」と規定し、以て私人間の法律生活において前段認定のような背信行為をすることを禁じているのである。これらの立法趣旨に顧みると、控訴人は、登記の申請を妨害した者が登記の欠缺を主張し得ないと同様に、被控訴人の本件宅地の借地権の対抗力の欠缺を主張し得ないものと解するを相当とする。

(三)  なお、控訴人は昭和二十一年春頃岡田金太郎から本件宅地を賃借したと主張するが、当時においては、本件のような借地権の存する罹災土地の所有者はその借地権の停止期間中に限り第三者をしてこれを使用させることができたに止まる(戦時罹災土地物件令第四条第四項)とともに、その推移は遅くとも昭和二十一年九月十五日から二年を経過した時消滅したものである(臨時処理法第二十九条第三項)から、仮に控訴人主張のような賃貸借ができたとしても、その賃貸借は遅くとも昭和二十三年九月十五日限り終了したものというべく、従つて、右賃貸借のできたことは本件の結論には何らの影響もないのである。

(四)  して見ると、控訴人は本件宅地の所有者として、被控訴人が岡田鍵一に対して持つていた本件宅地の借地権を認め被控訴人のこれが、使用収益を忍容しなければならない義務を負つていることが明かであるから、控訴人が本件宅地上に本件建物を所有し、以つて本件宅地を占有していることが当事者間に争のない以上、控訴人は被控訴人に対し本件建物を収去して本件宅地を明け渡すべきものとする他はない。控訴人に対しこの収去明渡を命じた原判決は、もとより正当であつて本件控訴は、理由がないから、民事訴訟法第三百八十四条、第九十五条本文、第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 田中盈 古関敏正 山本卓)

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